新宿眼科画廊にて、本日5月8日から始まる【鬼哭-花と闇-】
活け花アート(華道家さんだそうです)の紅蓮さんプロデュースで、MIRAIさん、みさくらなんこつさんと仰る、お2人のイラストレーターさん方と縄でコラボレーションさせていただくことになった。
で、今回の作品にはストーリーがある。
私なりに導き出したキーワードは【―乖離―離れることのない葛藤と慟哭】
それを頭に叩き込みながら現場に向かう。
ところが
画廊に飛び込んでみて、まずはその空間の白さにびびった。
そして、紅蓮さんが用意してくれたマネキンの完成度の高さにも。
用意していた紅い縄がヤケに白々しく、思わず縄を手にして外に飛び出し、泥にまみれさせた。
それでも足りず、蝋をかけ、更には火で炙る。
様々なM女さんを哭かせた大切な縄。
その大切な縄を一本だけ。
この作品に――。
鬼を哭かすために捧げようと思った。
――そして――
急ごしらえとはいえ、取り敢えず縄は出来た。
だが、肝心の縛りが出来ない。
一の縄(※)を掛けることが出来ないでいた。
※一の縄とは、後手であれば手首から上がってきて最初に回す胸縄の一周目を指し、私の場合は、この一の縄でその縛りの7割は決まると思って掛けている。私はアートなどというものは一切分からない無骨な人間だ。
宛もなく空間をうろつく。
所在なげに、壁に掛かっている写真に目を向けた。
――そこには、この作品のイメージを重ねた美しい女性の写真があった――。
アシンメトリーな女性。
何がどうアシンメトリーなのかはうまく説明出来ない。
見てくれなんかではない。
もちろん、完全にシンメトリーな人間などいないし、いたら気持ち悪くて仕方ないだろうが、そういうことではない。
強いて言うなら、ど真ん中の正統派美人である彼女が、どこかど真ん中にはいないという感覚。
ただ、アンバランスではなく、アシンメトリーという言葉が浮かんだ。
――そうだ。
この女性を縛ろう――。
私はアートなどというものは出来ないが、緊縛なら出来る。
そう思うと、ようやく一の縄を掛けることが出来、私は名も知らぬ写真の女性を縛り始めていた。
私が感じている、この人から発せられる違和感は何?
――キミは何をそんなに哭いているの――?
いつものように、相手の心の声に耳を傾け、小さなシグナルも見逃さないようにレーダーを張る。
やがて縄は動きだし、作品に命を吹き込み始める。
後は様々な角度から検証を重ねていく。
無駄な縄は掛けたくない。
かといって、少な過ぎるなど論外だ。
いつもと違って、はっきりとしたサインなどはくれない。
かつてないほどに緊張し、集中した。
何故なら、私は写真の女性を縛っているのだから。
楽しい時間は永遠ではない。
縄はやがて完成し、蜜時が終わりを告げる。
それぞれの作品に紅蓮さんの花が加えられ。
室内の通常照明を消し、作品群にスポットが当たると……
そこに一つの精神世界が浮かび上がった。
【鬼哭―花と闇】華道家・紅蓮feat
みさらくらなんこつ
MIRAI
堂山鉄心
4人が織り成す魂の慟哭を聞け!