長きに亘って開催させていただいた【鬼哭-花と闇-】
華道家の紅蓮さんを中心に、みさくらなんこつさんとMIRAIさん、そして私の3人がそれぞれの感性を持ち寄るというもの。
今回は本当に色々と勉強になったし、何より心の底から愉しかった。
何故縛るのか?
何を縛るのか?
巷に言われる、縛ることによって開放させるとは何か?
それより何より、そもそも縛るとは何か?
相手と向き合い、自分の内面と向き合う。
お互いに一人では決して到達出来ない高さに上り詰めていく。
今まで分った気になっていたようなことを、もう一度深く考えさせられた。
そもそも私は、当日までイラストレーターである、みさくらなんこつさんや、MIRAIさんという方を知らなかったばかりか、その作品さえ見たことがなかったのだ。
お2人にしたって同じようなものだろう。
少なくとも、私の縛りは見たことがなかったに違いない。
3人とも知っているのは、唯一、プロデューサーである、華道家の紅蓮さんただ一人である。
三人三様の世界。
本来は互いに寄り添ってなどいない独立した3つの個性。
それらを一つの空間にまとめ上げ……
ん?
活け花だ。
これは活け花なんだ!
気付いた時には、既に取り込まれていた。
紅蓮さんの作り出す、画廊という名の大きな花瓶の中に。
お2人の作品は既に製作を終え、そこに並べられている。
私は、そこに最後のピースを渡されてしまったのだ。
乖離
狂気
調和
混沌
協調
融和
様々な言葉が駆け巡る中、全ての雑念を払い、前回書いた通り一人の女を縛るという原点に戻り、やっと縛り始めることが出来た訳だ。
その間、紅蓮さんはというと、笑顔で作品を眺めたり、大騒ぎして蟲と格闘したりしながらも、決して私の手に注文を付けることは無かった。
私が渾身の一縛を終えた時も、彼はただ笑顔で頷いていただけであった。
全ては手の内。
所詮、花は選ばれた瞬間から華道家の手の内だったのだ。
それらの想いを胸に、私は9日間通った。
縛りとは何か?
その答えらしきものは、常に見えそうで見えない。
掴めそうで掴めない煙のように私の掌をすり抜けながら最終日を迎えるに至った。
長きに亘って吊られていた女を
慈しむように最後の時を惜しむ
破壊は常に創造を生み
また新たな世界へと私を誘ってくれることだろう
今は感謝し
慎重にその誡めを解いていく
慎重に慎重に
私に全てを委ねてくれた女をそっと横たえ
彼女に絡みついていた呪縛を解していく
愉しかったね。
また遊ぼう。
何度も繰り返すが、私はアーティストなどという高尚な者ではないし、そもそもアートなどというものは分らない。
強いて自分の作品を言葉で表すとすれば、やはり自慰行為が最も近いように思う。
だが、鬼哭を通じて、表現する愉しさ、難しさ、苦しさに加えて、面白さなどは少しだけ分った気がした。
そして、それに気付かせてくれた紅蓮さん、みさくらなんこつさん、MIRAIさん、画廊の方々、そして、観に来てくださった全ての人達に、ここで最大の謝辞を述べたいと思う。
本当にありがとうございました。
そしてまた
機会があれば、壮大な自慰行為を見せつけてやるのも一興かと
今は静かに想っている。